snowblackのブログ

考えたこと

人間は繁殖を続ける。
子供を作り、育てる。


子供を
つくる


さずかる


さずかるという言葉はあまりにも無責任だ。


親に感謝しろ
子供に言い聞かせ、体に染みつかせる。


親がいることで生きている
今の自分が形成されている。
だから親に感謝する?


生きていてよかった。
そんな感情は生まれてこなきゃ感じることもないのに。



生まれたいというわたしの希望があって生まれたわけではない
少なくとも自分が記憶している限りでは。


親が欲しくて作られた自分
その親が私に投資するのは当たり前
私を満足させるのは当たり前
それが作った責任というというものだろう。


でもその代わりに私は彼らが望むものになる。
お人形さんみたいに


それは苦しい。逃げ出したくなる。
でも彼らは無意識に私を導き、
そしてそこから出してはくれない。


その誘導は生まれてからずっと
長い時間をかけて
少しづつ私の体に染み込んで、
やがて彼らの希望が私の希望となる。


嫌気がさす。
逃げられない。


でもこんなわたしでも
自分の親が愛おしくて仕方がないのだ。


そしてその感情がまたわたしの世界をちいさくする。

どうしたらいいのかわからない


どうしたらいいのかわからないっていう感情は、常に私の中にある。
私はいつも何かに悩んでいたいのかと自分で思うほど、いつもこの感情が付きまとう。
つい最近まで他の人もそうなのだと思っていた。
流れに任せる、とか、時間が解決する、とか、
そういうのが他人より苦手なんだと思う。


自分が予想できなかったことが起こる。当たり前だし、日常茶飯事だし、
なのに、耐えられない。
考えられうるすべてのパターンを自分の中に置いておく作業が私の日常には欠かせない。これをこなすのに私の脳は精一杯だ。


自分の中にあるどのパターンなのかが見えない時
自分の中にないパターンであるかもしれない時
パターンがひとつも思い浮かばない時
どうしたらいいのかわからない。


他人がどう思っているか、どんな考え方をしているかなんて
完璧に予想することなんて不可能であることは分かっている。
聞いてみないと分からないし、何が起こるかはその時になってみないと分からない。
人は時に何も考えていない時さえある。


その場で本人に聞くか、その時を待つか、
兎に角自分で予想することを諦めるのが賢明だとは思う。効率的だ。


何故ここまで考えていて毎日毎日飽きもせずに
どうしたらいいのかわからない。
と、考え続けているのだろうか。

自分が今、考えたことを記録する。


ふとこのご時世にブログを書こうと思った。
特に辛いことがあったわけでも嬉しいことがあったわけでも
環境の変化が起こったわけでもない。なんならこの先の数年に関しては先が見えている。それによってその後の人生も大方決まったようなものだ。


毎日どうしたらいいのかわからなくなることがどんどん溢れてくる。
本を沢山読むわけでも哲学をかじっているわけでもなく、物書きになろうなんて一度も思ったことはない。言葉を沢山知っているわけでもない。人一倍狭い世界で生きてきて、これからもずっと、もっと狭い世界で生きていこうとしている。


毎日もし考えたことがあれば、ここに残していくことによって、何か自分の成長に役立つかと思っている。


昔書いていたブログをたまに見返した時、その時の自分が考えていたことを読んで
確かにと思ったり甘かったなと思ったり。
でもそういう考えた時間によって今の私が出来上がっているし、それが今の私の何かの解決にも役立っていると信じている。


このブログをはじめることが
次のひとかけらになりますように